生命をいただく。

わたしが幼い頃のお話。
農業を営んでいた大叔母の家では、庭でチャボと豚を数頭飼っていました。近くの店まで何キロも歩かなければならない暮らしのなかで、チャボの卵は大切な食料でした。朝、籾殻の上に産み落とされたばかりの、羽毛のついた、ほんのり温かい卵は、わたしの家の冷蔵庫の卵とはまったく異質の、重みがありました。
ある日の朝。小屋に卵を拾いに行こうとすると「今朝は卵はないよ。昨夜のうちにチャボは野犬に全部やられてしまった」と大叔母が言いました。驚き、立ちすくむわたしに「仕方がないさ」大叔母が言ったのはそれだけでした。
チャボ小屋に犬が侵入しないように工夫する、しばらくすると犬は知恵を働かせてそれを打ち破る、その繰り返しなのだそうです。小屋に侵入防止の工夫はするけれど、犬を退治する気はまるでなく、とどのつまり「仕方がない」となるらしいのです。
また別の日。豚小屋が空になっていました。名前をつけて大切に育てていた豚でした。水をやり、エサを与え、ブラシをかけ、小屋を清潔に整え、可愛がっていた豚でした。そういうふれあいはこれからもずっと続くものだと思っていたわたしの戸惑いをよそに、
「豚が売れた。大切に育ててきた甲斐があった」と話す大叔母は嬉しそうで、誇らしげでさえありました。わたしにとってペット同然だった豚は、大叔母にとっては貴重な収入源だったのです。幼いわたしは目の前の現実と感情のギャップが埋められずに、藁だけが残された豚小屋を眺めていましたが、大叔母はどこまでも明るく、嬉しそうで、金属の冠った歯を見せて笑っていたのが印象的でした。
思えば、チャボも客人をもてなすハレの日の御馳走として潰されていました。大叔母にとっては丹精込めて育てた畑の野菜を収穫し、出荷したり、食したりすることと、チャボや豚をそうすることは同じことで、境界はなかったのかもしれません。生命をいただくとはそういうことなのだと、ごく自然に、教えようともせずに教えてくれた大叔母でした。